いつか娘に読んでほしい、お金と働き方の記録
45歳のとき、親から「実家を支援してほしい」と言われた
いろんな意味でショックでした。
自分の資産の一部を出すということ自体も、もちろん軽い話ではありません。けれど、それ以上にこたえたのは別のことでした。
お金にきっちりしていると思っていた両親が、実はお金がなくて困っていた。
そのことを、私はその日まで知らなかったのです。
先に書いておきますが、両親を責めるつもりはまったくありません。二人は子どもを大学まで出してくれました。そこにお金がかかったことは事実で、それは私自身が受け取ったものです。
ただ、二人にはお金の知識を学ぶ機会がなかった。それだけのことだったと思っています。
そこで気づいたこと
私自身は、独学で本を読みながらお金のことを学んできました。体系的に誰かに教わったわけではありません。それでも、知っているのと知らないのとでは、判断がまるで変わります。
あのとき、家計の使い方を少し違う形で考えていれば、もっと違う未来があったのではないか。そう思わずにはいられませんでした。
お金の知識があるかないかは、人生の後半に効いてくる。
これが、45歳の私が突きつけられた事実でした。
戻れるなら20代に戻りたい。でも、戻れない
正直に言えば、時間を巻き戻したい気持ちがあります。20代に戻って、両親のことも、自分自身の資産形成も、一からやり直したい。
でも、時間はもう過ぎてしまいました。
元に戻らないことを悔やんでも仕方がない。だとすれば、これからできることに注力するしかありません。
そして、こうも思うのです。
今日が、人生で一番若い日です。
47歳の今日は、48歳の自分から見れば、取り戻せない一日です。だったら今日から始めるのが一番早い。この言葉は私がお金の知識として参考にしており、活用しているリベ大の「両学長」の言葉です。
だから、娘に伝えたい
私には小学生の娘がいます。
彼女が社会人になったとき、お金の知識がないことで苦労する必要はない。そう思っています。
苦労することはあるでしょう。人生とはそういうものです。ただ、それが「お金のことを誰も教えてくれなかったせい」であってほしくない。それだけは避けたいのです。
そして、これはとにかく早いほうがいい。
複利という仕組みがあるからです。早く投資に回すことができれば、それだけ時間が味方をしてくれる。20代で始めるのと40代で始めるのとでは、同じ努力でも到達点がまるで違います。
だから娘には、早い段階でこのことを知って、行動に移してほしいと思っています。
同じように、何も考えずに中年になった人へ
このブログは、娘だけに向けたものではありません。
かつての私と同じように、何も考えないまま中年になってしまった人。なぜかわからないけれど、お金がたまらないと感じている人。そういう方にも役に立つはずだと思っています。
ただし、成果を約束することはできません。投資にも副業にも確実はないからです。
言えるのは、少なくとも私と同じ後悔はしなくて済むはずだということ。そして、いずれ同じ景色が見えるようになるとは思う、ということです。
そしてこれは、自分自身で変わらなきゃと思っている人に限られます。読むだけでは何も変わりません。
なぜ「自分株式会社」なのか
先に、正直に書いておきます。
「自分株式会社」という言葉は、私が考えたものではありません。
調べてみると、以前から複数の人が使っている考え方でした。自分自身を一つの会社に見立てて、給与と副業収入を売上、生活費を経費と捉える。勤務先を雇い主ではなく取引先とみなす。書籍やブログで、すでに語られてきたことです。
私がこのブログを始めるにあたって、この言葉を選んだのは、それだけしっくりきたからです。借り物であることを隠すつもりはありません。
ただ、一つだけ違うことをやろうと思っています。
多くの場合、自分株式会社は考え方として語られます。私はそれを、実際に経営してみることにしました。定款を作り、事業部を置き、毎月決算を出して公告する。会社依存度という指標を決めて、それを追いかけていく。
言葉は借り物でも、経営そのものは自分のものです。
さて、そのうえで。なぜ私が自分株式会社を必要としたのか。
一番の理由は、自由に生きたいからです。
具体的には、こういうことを考えています。
こうありたいこと
- 自由に生きたい
- 定年後も、楽しく仕事に取り組んでいたい
- 健康で、楽しい人生を送りたい
こうはなりたくないこと
- 会社に依存した人生を送りたくない
- 老後の心配を抱えたまま歳を取りたくない
- 関わりたくない人と仕事をしたくない
最後の一つは、わがままに聞こえるかもしれません。でも、人生の時間は有限です。嫌な人間と過ごすために使う時間は、できるだけ短いほうがいい。
発言と、離脱
組織や社会といったシステムが健全に機能するためには、二つのものが必要だと言われます。経済学者アルバート・ハーシュマンが『離脱・発言・忠誠』で示した考え方です。
- 発言とは、間違っていると思うことに対して声をあげること
- 離脱とは、間違っていると思う場所や組織から離れること
会社員は、往々にして離脱のカードを持てません。生活がかかっているからです。カードを持たない人間の発言は、どうしても弱くなります。
離脱できる状態を作っておくこと。 それが、自分株式会社を経営するということの実務的な意味だと考えています。
人生というプロジェクトの、唯一の責任者
会社では、私は中間管理職です。上司がいて、部下がいて、決められる範囲には限りがあります。
けれど自分の人生については、上司はいません。
私は、私の人生というプロジェクトの唯一の責任者であり、リーダーです。
だから、自分で考えて、自分で決める。誰かが正解を用意してくれるのを待たない。うまくいかなければ、その責任も自分で引き受ける。
そういう当たり前のことを、47歳になってようやく本気で考え始めました。遅いかもしれません。でも、今日が一番若い日です。
このブログでやること
自分株式会社には、三つの事業部があります。
第一事業部は、本業です。
意外に思われるかもしれません。副業ブログというと、本業を「早く抜け出したいもの」として書きがちですから。
でも私は、そうは考えていません。給与は当社の最大の収益源であり、副業の元手も、積立の原資も、すべてここから出ています。ここを軽んじたら、そもそも何も始まりません。
考え方を一つ変えただけです。勤務先は、私の雇い主ではなく、自分株式会社の最大の取引先である。
そう捉え直すと、仕事への向き合い方まで変わってきました。取引先には誠実に価値を提供する。同時に、自分の単価を上げる努力もする。依存ではなく、取引です。
第二事業部は、副業です。
まずはこのブログから始めます。ここで大事なのは金額ではありません。会社以外からも稼げるという事実を、自分に対して証明することが目的です。
第三事業部は、資産運用です。
第一と第二が生んだ利益を、インデックスファンドの積立に回します。自分が働くだけでなく、お金にも働いてもらう。47歳の私に残された時間を考えれば、一日でも早いほうがいい。
この三つは、それぞれ役割が違います。
第一事業部が原資を生み、第二事業部が独立性を作り、第三事業部が時間を働かせる。

どれか一つでは足りません。三つ揃って、はじめて「経営」になるのだと思っています。
数字はすべて公開します。うまくいったことも、失敗したことも、そのまま書きます。
そしてもう一つ、毎月出していく数字があります。会社依存度——給与収入が総収入に占める割合です。
今はほぼ100%でしょう。当たり前です。まだ何も始めていないのですから。この数字が年月をかけてどう変わっていくのか。それがこのブログの本編になります。
ただし、0%を目指しているわけではありません。会社を辞めるためにこれを書いているのではないのです。いつでも辞められる状態を作ったうえで、それでも残るという選択ができること。 それが私の考える独立です。
きれいな成功譚を書くつもりはありません。娘が将来これを読むとき、必要なのは結果ではなく過程だからです。何をどう判断して、何を間違えたのか。そこにしか学べるものはないと思っています。
最後に
いつか娘が社会人になって、このブログを見つけたとき。
「父さんもこうやって始めたのか」と思ってもらえたら、それで十分です。そして願わくば、彼女自身の自分株式会社を、私よりずっと早く立ち上げてほしい。
そのための記録を、ここから始めます。
自分株式会社、始動。
※本ブログは個人の記録であり、特定の金融商品を推奨するものではありません。投資判断はご自身の責任でお願いします。

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